special

出品作家メッセージ

出品作家メッセージ「モネに寄せて」②児玉麻緒、鈴木理策、松本陽子、湯浅克俊

現在活躍中のアーティストのメッセージをご紹介します。第2弾の今回は児玉麻緒、鈴木理策、松本陽子、湯浅克俊の4氏です。

児玉麻緒
 一瞬にして心奪われたジヴェルニーの庭。とめどない高揚感に終始笑みが収まらず、浮いているのではないかと疑う自分を今でも覚えている。見た事ある花なのに。知っている草花なのに。もうモネはいないのに。
 土から、種から、そしてキャンヴァスから信じられないほどの色や形、線が生まれてくる事が不思議で奇妙で、でも楽しい。土を耕すように必死でキャンヴァスを探り、花に水をやるように大切に時に厳しく絵具を置く。咲くのか生きられるのか。それでも雨風にも負けない強さを求めて屈する事なく描き進める。花が絵具で、絵具が花で。土に草花が生える、絵が場に生きる。
 モネの家の庭は、存在という奥行きをもった私の在りたい絵画と重なった。

鈴木理策
私たちの眼はとても揺らいでいて、ひとつところに視線を止めてはいない。それは静止した絵画を見る時も同様である。モネは水面に映る空の雲、水上に浮かぶ睡蓮、水底の色合いをキャンヴァスの上に描き、それぞれの層を見る者に行き来させる。動かない絵画が移ろい、きらめくのは、私たちの「見る」という行為が持続した時間の中にあるからだ。モネの絵画の魅力は描かれたものの意味ではなく、今まさに見ていることを意識化させる点にある。19世紀の写真の登場は、それまでいかに見たいものだけを見て、観念的に描いていたかを画家たちに気づかせた。そこで知覚の問題として絵画を捉え直したところに、モネの表現者としての圧倒的な大きさがあると思う。

松本陽子
積みわらの紫、自然をわし摑みにしているようなエトルタの断崖の青、モネの連作はみなその色彩によって魅力に溢れているが、睡蓮は特別だと思う。睡蓮の大作を初めて見たのはニューヨーク近代美術館だった。60年代終わり、自身の制作にゆきづまりを感じていた頃のモネとの出会いだった。睡蓮は青みがかったグレーの筆触が集まって塊のように見えた。油絵具は無造作に塗り重ねられているが、筆力が強く自由自在だった。画面は勢いもあるし、沈黙もある。ふつう油絵具は塗り重ねると濁って画面が台無しになってしまう。しかし、モネは、白、黄、緑、ピンクを丸筆で描き重ね混色する。眼前にある睡蓮はもはや花の絵ではない。不思議な拡がりのある空間に光を含んだ色彩は、濁りなく透明で美しく現出する。

湯浅克俊
モネは非常にしつこい男だ。同じモティーフを何十枚も描き、自邸に造った庭を何十年もかけて手を入れ続ける。時間と光は絵描きにとって永遠のテーマで、一枚の絵には表現しきれないが何度も執拗に描き続けることによって、多様な光を捉えることが出来たのだと思う。特に〈ルーアン大聖堂〉の連作は素晴らしい。同じ構図、異なる光。直線的な時間に対抗する多層的な時間。まるで四次元のような絵画空間。

 私が1年間パリで滞在制作していた時、ジヴェルニーを訪れたことがある。観光客でいっぱいの庭に辟易した帰り道、背の高いポプラ並木が風光る様子はモネの描いた絵そのものだった。輝く葉の一枚一枚。光が場所によって全く異なることをその時初めて知った。

最新記事