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出品作家メッセージ

出品作家メッセージ「モネに寄せて」③児玉靖枝、根岸芳郎、平松礼二、水野勝規

現在活躍中のアーティストのメッセージをご紹介します。最終回は児玉靖枝、根岸芳郎、平松礼二、水野勝規の4氏です。

児玉靖枝
 私にとって、クロード・モネとの最初の出会いはモダニズムの入り口でした。絵画の約束事の諸々をモネの絵画、とりわけ睡蓮の連作を通して理解し、自身の造形言語として生かすことで絵画の可能性を探求してきました。
 そして、抽象を経て再び具象へ転じ、モネに対する捉え方も変わってきました。前近代の神秘的宗教的主題性から「個」として日常性の中に見ることを深く掘り下げていく価値の転換期にあって、モネが対象との主客融合的な身体的交感を求めながら、移ろう陽の光の中で視点や距離を変えて繰り返し描いた〈睡蓮(水面)〉。その実と虚のあわいに、見ることの確かさや不確かさ、存在に対する信・不信の揺らぎが喚起されます。モネの感受した可視的現象世界が身体を通過して描く行為と直結する、絵の具が光になる瀬戸際に、100年後の私たちは自身の眼差しを問い直す契機を与えられているのではないかと思います。

根岸芳郎
  私がモネの絵をよく見るきっかけとなったのは、留学先のボストンのボストン美術館であった。当時何十点か所蔵されていた中で、いつも定位置に常設されていた作品が《睡蓮の池》1900年(90.2×92.7cm)で、毎回、鑑賞の最後にこの絵を見て帰るようになっていた。太鼓橋の背後に柳が垂れ下がり橋の下に睡蓮の池が広がる小さな絵であったが、不思議なエネルギーに満ちていて、見る度に勇気づけられた。モネの絵には実物に接して初めて感じられる微妙な色調の変化や、眼と手の連動が伝わって来る様な筆のタッチやストロークがある。特に晩年の睡蓮の大作では再現性を支えていた描写力は、より直接的な感情表現となって解放されていく。
 私はキャンヴァスを床に置き、大きな絵は橋を渡して水性絵具で描いている。橋の上から濡れた画面を見ていると、ジヴェルニーの池やそこから生まれた彼の作品群がよぎることがある。空や柳が反映した水面の裏側や浮かんだ睡蓮の葉に隠された底の方が気になる。「泥中の蓮(はちす)」のむしろ泥中の方へと誘われていく。

平松礼二
 パリ、ノルマンディ、ジヴェルニーの往来は24年間になる。1994年にオランジュリー美術館で出会った超大作、「睡蓮」の作品だ。衝撃だった。80メートルを越す大キャンヴァスに描かれた近景ばかりの絵。グルリと楕円形の壁を被う睡蓮の咲く池。季節の中で水と光が反射する光景を繰り返し描き続けたエネルギーの源は何だったのか。教えを乞うため、ジヴェルニーのモネ財団に通った。花の庭や池を再現した元庭園長のジルヴェール・ヴァエさんに多くのヒントをいただいた。モネ研究家のシルヴィ・パタンさん(オルセー美術館)、ディエゴ・カンディールさん(ポンピドー・センター、メス)、マリーナ・フィレッティさん(ジヴェルニー印象派美術館)から助言と励ましをいただき、日本画材を使って実制作を続けて、モネの眼と胸の内を今も検証・研究している。今までの判断では、江戸期の日本の装飾性、様式性、あそび心が、自由と冒険を望んだモネはじめ印象派の画家たちに火をつけたように感ずる。モネ作品の色彩には、日本画材の単色の美を多く発見できる。

水野勝規
 10年前に直島にある地中美術館で、モネの展示室に入った時、私は初めてその魅力に取り憑かれた。当時、ハイビジョンで撮影を始めた頃で、画面比率が4:3から16:9へ移り変わり、日本画や絵画の構図を強く意識し引用していたのだが、自然光が差し込む白い部屋に展示された睡蓮作品は、絵画ではなく映像そのものだった。柔らかい光が差す部屋の中で、ゆっくりとした時の流れを感じつつ、いつまでも佇んでいたいと思った。

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